第2回「男は我慢」40歳で思い知った孤獨 息抜きの仕方がわからない
子どものころ、大手の製鉄會社に勤めていた父は、ほとんど自宅にいなかった。
戦中に生まれ、高度経済成長期に働き始めた父は、絵に描いたような仕事人間?,F場監督の仕事で、何カ月も家を空けた。
転勤ばかりで、小學生の時は各地を転々とした。父が生まれ育った福岡に落ち著いたのは、中學生になってからだった。
勉強を教えてもらったり、一緒に遊んだりした記憶はほとんどない。兄と自分の育児は、母がパートをしながら擔っていた。
九州地方の県庁に勤める男性(50)は、そんな家庭で育った。昭和では、ごく一般的な家族だ。
「大黒柱にならなければ」
學校ではいい思い出がない?!改凶婴贤柝驻辍工袑W校の校則で、我慢して床屋に行った?!改肖胜槿跻簸蛲陇省工趣瑜长虢處煠い?。
高校では、吹奏楽部に入り、テューバを擔當した。だが、音がうまく出ないと、顧問は指揮棒を投げつけた。
私立大學を出て、公務員試験に合格。県庁に入った。母は手放しで喜んでくれた。
父の背中を見てきたから、「一家の大黒柱にならなければ」と思っていた。26歳で同僚の女性と結婚し、2人の子どもに恵まれた。
しかし順風満帆だった人生の歯車が、34歳で狂う。妻と子育てについて意見が合わず、口論になって暴力をふるってしまった?!甘耸陇饧彝イ狻工葰葚摛盲皮い郡?、理想に近づけず、いらいらが募っていた。
妻は子どもを連れて家を出ていった。
裁判所の調停ですぐに離婚が成立。子ども2人の親権は元妻が取った。
離婚した男性は、さらに仕事に沒頭するようになりますが、思うようにはいきません?!溉跻簸蛲陇省埂复簏\柱たれ」といった従來の「男らしさ」にとらわれ、苦しむ男性について考える全9回連載の2回目です。
それが職場に伝わると、同僚…
- 【視點】
同世代です。小さい頃から見てきた両親の関係性(夫は仕事、妻は家事)のままの家庭を作ろうとして、うまくいかなかった同期を何人も見ています。女性活躍って言うけどさ、男だって辛いんだ、という聲も良く聞きます。女ってだけで重寶されて、と思っている男性も相當數いるのでしょうね。 男だから、女だからではなく、一人ひとりが自分の人生を生ききる、自分が生きたいように生きられているから、あなたもどうぞ、お互い様、そんなふうになっていくには、男らしさの呪縛から男性が解放されることも、とても大切なポイントだと思います。
- 【提案】
「男は一家を養うべし」「男は強くあるべき」といったジェンダーバイアスを內面化し、ホモソーシャルの中の「どっちが強いか」「どっちが偉いか」勝負に明け暮れている男性は、晩年になって行き詰まってしまうケースがあると聞きました。 年齢を重ね、

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男女格差が先進7カ國で最下位の日本。生きにくさを感じているのは、女性だけではありません。だれもが「ありのままの自分」で生きられる社會をめざして。ジェンダーについて、一緒に考えませんか。[記事一覧へ]